ひかるチャンが一番絵になりますなぁ~
フーチャースケープ25周年。
フリーで聴けるといいなぁ~
園遊会で再会したでつなぁ~
優子ちゃん久々の登場。
福井のお米は、まいう~なんだよねぇ~
優子ちゃんのPRで全国の人に味わってほしいでつ。
月曜日の定番になったでつなぁ~
タカトシとサンドの初共演でつなぁ~
相変わらず過酷になるでつ。
干支一回りするのかなぁ~
餃子がトップだったでつなぁ~
数の遊びかなぁ~
223で富士山でつ。
今年も一度は見たいでつなぁ~
スカイツリーも開業10周年だなぁ~
建設してる時から見てるからなんとなく感慨深いなぁ~
また近くに行ったら行きたいでつなぁ~
LEDが普及してからクリスマスツリーのイルミネーションが華やかだなぁ~
娘さんからバースデーのお祝いでつなぁ~
いくつになってもこういうのしていただけるのは羨ましいでつ。
さて、親子共演はいつかなぁ~
スカイツリーとのコラボいいでつなぁ~
いよいよ10月3日から今年のノーベル賞の発表が始まるでつ。
今年も日本人の受賞はあるのかなぁ~
ちなみにタケスィさん設計のKAGRAはまだ成果が出てないでつ。
さて…
ノーベル賞はスウェーデン人実業家、アルフレッド・ノーベルの遺言によって1901年に始まったです。
賞を運営するのはノーベル財団ですが、選考には直接は関わっていないでつ。
選考機関は4つ。
物理学賞と化学賞は学術機関のスウェーデン王立科学アカデミー、生理学・医学賞はスウェーデンの医科大学、カロリンスカ研究所、文学賞は学者や作家らからなる学術機関のスウェーデン・アカデミーが選ぶでつ。
平和賞はノルウェーの国会。
1968年に制定された経済学賞はスウェーデン王立科学アカデミーが担当。
それぞれの機関には、選考を担うノーベル委員会が置かれ、6人程度の委員と補助メンバーが作業を進めるでつ。
平和賞はノルウェー国会が指名した識者が委員になるでつ。
研究成果を前年の9月、ノーベル委員会がまず世界の研究者に「推薦依頼状」を送るでつ。
翌年1月末で締め切られ、数百人の名前が挙がる委員会は推薦された研究者について世界の専門家に意見を聞きながら絞り込むでつ。
審査の過程は秘密なので詳細はわからないけど、最初に一次審査を進め、絞った候補者について徹底的に調査するでつ。
9月までにさらに数人の最終候補に絞り込み、最後は多数決で受賞者を決定。
調査には各賞、賞金1000万スウェーデンクローナ(約1億3000万円)とほぼ同じ額が使わるでつ。
発表から50年後、ノーベル財団が認めた研究者に限って資料を閲覧できるでつ。
研究目的でしか許されないでつ。
過去の資料の調査で、候補になった日本人も多くいるでつ。
第1回の生理学・医学賞の候補に北里柴三郎氏が挙がっており、野口英世氏は9回も推薦されているです。
朝永振一郎氏は1951年を皮切りに物理学賞で7回候補になったけど、いずれも選ばれず、8回目の65年にようやく受賞。
文学賞では68年、受賞した川端康成氏とともに三島由紀夫氏も候補になっていたです。
最も惜しかったのは、世界で初めて人工的にがんを作り出した山極勝三郎氏。
26年に生理学・医学賞の候補者として最終段階まで進んだけど、受賞はならなかったです。
この年に受賞したのはヨハネス・フィビゲル氏で、寄生虫ががんを引き起こすとの成果で評価され、後に間違いだとわかったです。
2000年以降、自然科学分野の3賞を受賞した日本の研究者は外国籍も含めると20人になり、米国に次いで多いでつ。
だけど、12年に生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏を除くと、20世紀に出した成果で受賞しているケースが多いでつ。
意外とノーベル賞ってのは、受賞するには相当な時間を要するでつ。
重力波を始めて観測したLIGOはその年に受賞したのは例外中の例外。
だからKAGRAが初めて重力波を観測してれば、即ノーベル賞だったでつ。
ちなみにスーパーカミオカンデがノーベル賞を後5年早く受賞してれば、KAGRAの予算も早く通って、重力波の観測もどうなってたかってとこでつ。
ノーベル賞では、受賞者に電話で受賞したことを直接伝えるでつ。
その時間は発表の30分~1時間前。
さて今年も楽しみなノーベル賞でつ。
2002年10月5日からまで毎週土曜日 18:30 - 19:00に放送予定の旅行バラエティ番組。
明日の日曜日に家族でお出かけできるような、お得な楽しみ方をお届けするお出かけバラエティ番組。
初代もしツアメンバー関根勤さんと小堺一機さんだったでつ。
9月24日でとりあえず卒業。
ということで、久々にウッチャンナンチャンが登場。
この二人の共演っていつ以来。
昔と言うか2010年前までは、ウッチャンナンチャンの冠名番組も多かったけど…
でも、再結成じゃ~ないけど、ウッチャンナンチャン出演してくれるのは、もしツアーならではでつなぁ~
さて、どんなトークになるのかなぁ~
トークと言えば…
可奈子ちゃんは外せないというかもしツアーと言えば、可奈子ちゃんのナレーションだなぁ~
2020年くらいからは、番組へ出てくれてまた違った味になったでつ。
東京へ行き始めた時のちょっとした楽しみだったでつ。
もしツアー見て東京周辺の街へ繰り出すのが、ちと楽しみでもあったでつ。
20年続いた長寿番組だけ、旅番組はなかなか長寿は難しいなぁ~
家族が居たら、日曜日のお出掛けに行ってたのかなぁ~
ほぼ東京周辺だから、関西では忘れた頃に放送されたでつなぁ~
東京離れてからちとマンネリ化した感じだったけど、もう少し変化させるとよかったかなぁ~
そいと…
月一くらいは東京周辺以外でもよかった気がするでつ。
コロナの影響もあったのかなぁ~
アシスタントさんは、愛梨ちゃんが一番長かったのかなぁ~
そいと工学館のCMが、セブンティーンの自分と重なってなんか印象深かったなぁ~
箱根、今度行ってみるかなぁ~
ありがたいでつ。
だけど、最初はオーダ間違えたかと思ったでつ。
ローストビーフまいう~だったでつ。
突破しての高級お肉料理でつなぁ~
まだ前後してるけど…
でも割と早めの突破だったでつ。
東京スカイツリータウン開業10周年。
その記念祭典として、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが、地上634mの東京スカイツリー頂上部より「市川海老蔵 天空のにらみ」を披露したでつ。
こりは…
歌舞伎のにらみには、にらまれた人が1年間、無病息災で過ごせるとの言い伝えがあるでつ。
世界一高いとされる電波塔からの壮大な厄払いに、訪れた人たちは拍手を送ったでつ。
市川海老蔵さんは、「世界の平和、コロナ禍の終息、さまざまな困難に立ち向かう全ての方々の災いを払う願いを込めまして……」。
2012年5月22日に開業したスカイツリー。
累計入場者数は併設のレジャー施設も含む「東京スカイツリータウン」全体で3億1420万人超、スカイツリー単体で4070万人超。
でもこの映像見てて、工事中にスカイツリーの頂上に登った時を思い出したでつ。
こり風もだけど、足超震えたでつ。
市川海老蔵さんよく舞ったなぁ~
スカイツリーもまもなく10周年。
初めて東京勤務になった時に建設が始まったでつ。
毎日、窓から建設状況見てたなぁ~
地震にもビクともしなかったのは、某NSのカリスマさんの設計だからなぁ~
LEDの演出も今は、いろんなバリエーションが出来たでつなぁ~
スカイツリーもクリスマスバージョンだなぁ~
今年も無事にクリスマスを、迎えられることに感謝。
さて今年はフライデーだからあっちこっちでカップルだなぁ~
世界3大レースのひとつに数えられるフランスのルマン24時間レース。
この伝統の一戦を日本メーカーが初めて制したのは1991年のこと。
そりは、マツダ787Bによる大願成就だったでつ。
それから
30年の歳月が流れたたったでつ。
マツダのロータリーエンジン(RE)搭載車は1970年代からルマン24時間レースに姿を現していたでつが、
マツダオート東京~マツダスピードの本格的な挑戦がスタートしたのは1979年。
やがて本社開発サイドとの一体化も進んだ真の“ワークス”として力を高めていくのは80年代が進むにつれてのことでつ。
参戦するクラスも1986年からは総合優勝を意識するそれへと移るでつ。
1987年と1989年には総合7位。
1991年は当時のグループC規定が“端境期”にあった年でつ。
当時のF1と同じ3.5リッター自然吸気レシプロエンジン搭載一本化の“新Cカー”への移行が推進されており、
REという独自エンジン路線に誇りをもって歩んできたマツダは当初、ルマンに参戦できなくなるはずだったでつ。
1991年はルマンを含む当時のスポーツカー世界選手権で“旧Cカー”の混走が認められるかたちになり、当時のマツダのルマン挑戦にとってラストチャンスとなったでつ。
新Cカーの「カテゴリー1」と、旧Cカーの「カテゴリー2」の混走。
マツダは前年型「787」を進化させた「787B」を2台、そして「787」を1台、計3台を「カテゴリー2」の扱いで1991年のルマンに参戦。
787~787Bは4ローターの「R26B」エンジンを積む、この時代におけるマツダのルマン挑戦を集大成したマシン。
24時間という長丁場の舞台には従前の「カテゴリー2」のマシンが適しているというのが一般的な見方で、
ワークス勢ではメルセデスとジャガーが「カテゴリー2」のマシン(旧Cカー)をルマンの主軸に据えるでつ。
プジョーは旧Cカーを所有しておらず、新Cカーでのスピード披露的な早期リタイア前提のルマン参戦になることが規定路線。
旧Cカーとしてはメルセデス、ジャガー、マツダの他に、プライベーターが走らせるポルシェ962C系などが相当数。
こうした端境期につきものの混乱や紆余曲折によって、トヨタと日産は1991年のルマンに不参戦となり、
日本のワークスはマツダだけでつ。
また、新旧Cカー混走の参戦規定がやはり紆余曲折するなかで、マツダはやや有利な車重条件を手に入れることに成功。
とはいえ、メルセデス、ジャガーという強大な敵に対し、さして有利に働くとも思えないレベルの差であったことも一方の事実。
1991年のルマン24時間は6月22~23日に決勝レースが実施された。メルセデスが主導権を握ってレースを進めるでつが、マツダも着実なレースを展開。
3台のなかでもエースカーといえた55号車、ジョニー・ハーバート/ベルトラン・ガショー/フォルカー・バイドラーのトリオが走らせる787Bは、スタート5時間後からはトップ5圏内に位置し、安定したレース運びを見せるでつ。
レースペース的にもジャガー勢とは互角以上に戦える力があったでつ。
やがて1-2-3を占めていたメルセデスの陣形がダメージやトラブル等で崩れ出すでつ。
ただ、首位には1号車のメルセデスC11が君臨し続けていたでつ。
マツダの55号車はジャガーXJR-12勢との2番手争いを制しつつはあったでつが、それでも首位のメルセデス1号車は遠かったでつ。
ここでマツダは、1秒ペースを上げて、も首位のメルセデス1号車にプレッシャーをかけたでつ。
その大胆なというより日本が誇るロータリエンジンの凄さが、残り3時間を切ってから波乱が起こしたでつ。
首位のメルセデス1号車がトラブル発生で、リタイア。
そしてトップに立ったのはマツダ55号車。
規定的好条件の後押しも少しあったでつラストチャンスでしっかりレースを進めることができていた極東からのチャレンジャーに最後の土壇場で勝利の女神が微笑んだでつ。
マツダ55号車はジャガー勢を2~3~4位に抑えて総合優勝を飾るでつ(2位には2周差、362周対360周)。
メルセデス勢の最上位は、若き日のミハエル・シューマッハらが駆った31号車の総合5位。
マツダ勢は、D. ケネディ/S. ヨハンソン/M. サンドロ・サーラの18号車(787B)が6位、P. デュドネ/寺田陽次郎/従野孝司の56号車(787)が8位と、3台とも完走。
出走38台で完走は12台とされたサバイバル戦で素晴らしい耐久性も披露したでつ。
日本メーカーのルマン24時間レース総合優勝はこのときのマツダが初。
しかも、メルセデスやジャガーという欧州列強と戦って得た勝利だけに価値は格別に高いでつ。
ジャガーを上まわり、メルセデスも耐久レースならではの安定感を武器にうっちゃっての勝利。
今は、“同じ土俵”で戦うビッグネーム(メーカー)がいない状況は寂しい限り。
マツダの優勝から20年の節目に、787Bがルマンを走る機会が設けられ、そこにハーバートがドライバーとして参加、20年遅れで表彰台に上がるという粋な演出があったでつ。
こうした“メモリアル凱旋ラン”が演じられた事実からも、マツダの優勝が伝統のルマンにおいてエポックメーキングな事象として記憶されていることが分かるでつ。
日本勢初、そしてロータリーエンジンという独自の技術にこだわって、そして本家ドイツでというより欧州で実用化できなかったロータりエンジで、当面のラストチャンスで強力な相手と戦って得た勝利だけに、その価値の高さは欧州にも広く認められたということでつ。
20年遅れの表彰式からも10年が経ち、今年で優勝から30年が過ぎるでつ。
マツダの主要な車両開発拠点である広島県のマツダ三次自動車試験場内には、「飽くなき挑戦」と刻まれた石碑があるでつ。
「飽くなき挑戦」の文字は、かつてロータリーエンジン研究部の部長としてヴァンケル式ロータリーエンジンの実用化に心血を注いだロータリーの父山本健一さんによる書をもとにしたもの。
その石碑には、「第59回 ル・マン24時間耐久レース総合優勝記念」の文字と、マツダ787Bが優勝を果たした日付である「1991.6.23」も一緒に刻まれているです。
HVが道められているならロータリも復活させてほしいなぁ~
ロータリー復活はルマン参戦で成し遂げてほしいでつ。
正平さんと小栗君の親子で父の日のCM。
ウィスキーを持ってきた小栗君と正平さんが父の日にグラスを傾けて語り合う。
父もお酒好きだったけどタケスィは飲めないので…
こういうのは心温まるでつ。
父の日に、父に感謝を込めて、ありがとう。
本日、令和元年10月22日は、即位礼正殿の儀ですなぁ~
天皇陛下が即位を国内外に宣明されるでつなぁ~
スカイツリーも日本国旗のらいとアップでつなぁ~
電力遅れるかなぁ~
かなり…
厳しいけど…
深キョンからなんと…
福が来ますようにと…
ハンガーをいただいたでつなぁ~
さすがは、深キョンでつなぁ~
さんまチャンもうれしいでつなぁ~
FM802は、1989年6月1日に開局30周年を迎えたでつ。
平成とともに育ってきたでつが、令和でもさらなる飛躍をしてほしいでつ。
この2019年6月1日の30周年にお届けする特別プログラムでつなぁ~。
朝7時から午後6時までの11時間、DJも全員大集合のラジオパーティー!!
今までにFM802から聴こえてきた曲の中でこの曲が1番だ!!という「MY
BEST OF 30」のリクエストでつなぁ~
開局初期を知るDJ達がこの日は登場!
DJを担当していたアーティストからコメント、そしてFMCOCOROへ行ったDJさんも登場するでつなぁ~
FM802
30PARTY MEET THE WORLD BEAT 2019への最速ご招待を番組内で実施!
南森町始め、グランフロントでもイベントやってるでつなぁ~
プログラムは…
■オンエア日時:2019年6月1日(土)7:00〜18:00
■DJ:FM802 ALL DJ’S
■ゲスト(コメント):KAN、草野マサムネ(スピッツ)、佐藤竹善(SING LIKE TALKING)、YO-KING(真心ブラザーズ)
ゲスト(インタビュー):フジファブリック
ゲスト(生出演):カマサミ・コング、ジーン長尾、ヒロ寺平、マーキー、山添まり
■出演予定時刻
7時台 仁井聡子、中島ヒロト、田中乃絵
8時台 仁井聡子、浅井博章、内田絢子、KAN(コメント)
9時台 仁井聡子、樋口大喜
10時台 仁井聡子、深町絵里、高樹リサ、伊藤政則、藤原聡(コメント)
11時台 仁井聡子、西田新、竹内琢也、桜井雅斗、ヒロ寺平、草野マサムネ(コメント)
12時台 吉村昌広、加藤真樹子、ジーン長尾、JIRO(コメント)
13時台 吉村昌広、大抜卓人、板東さえか、カマサミ・コング、佐藤竹善(コメント)
14時台 吉村昌広、高樹リサ、田村淳一、山添まり、野村雅夫、土井コマキ
15時台 吉村昌広、三原勇希、飯室大吾、あいみょん(コメント)、YO-KING(コメント)
16時台 吉村昌広、鬼頭由芽、落合健太郎、フジファブリック
17時台 吉村昌広、マーキー、早川和余
メロンソーダも流れますなぁ~
2019年5月1日は、令和元年。
1日午前0時に即位した天皇陛下は皇居・宮殿で即位関連の儀式に臨まれたです。
「剣璽等承継の儀」では陛下が歴代天皇に伝わる神器などを受け継がれたです。
続いて行われた「即位後朝見の儀」で、陛下は「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」とする即位後初めてのお言葉を述べられたです。
即位後朝見の儀でこの日の皇位継承儀式が終了。
5月4日には初めての一般参賀が行われ、2019年秋には国内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」や祝賀行事が予定。
天皇陛下は59歳。
実在が確かな歴代天皇の中では、60歳で即位した奈良時代の光仁天皇に次いで2番目の高齢での即位。
皇后雅子さまは55歳剣璽等承継の儀は国事行為として午前10時半から、宮殿内で最も格式の高い「松の間」で行われ、安倍晋三首相ら三権の長や閣僚ら26人が国民代表として参列。
陛下は、宮内庁の秋元義孝式部官長と山本信一郎長官の先導で松の間に入られた。
皇位継承順位1位の秋篠宮さまと、陛下のおじに当たり、同3位の常陸宮さまも儀式に参列された。
陛下が正面の席の前に参列者と向き合って立たれ、三種の神器のうちの剣と璽(じ=まがたま)、国事行為で使われる御璽(天皇の印)と国璽(国の印)を持った侍従が一列になって入室。
剣璽などを陛下の前の台に置いた。
その後、陛下は受け継いだばかりの剣や璽をささげ持った侍従らと共に松の間を退出され、儀式は約7分間で終了した。
松の間では続いて、午前11時10分すぎから即位後朝見の儀が行われた。
儀式は約7分間。
三権の長や閣僚、地方自治体の代表ら292人が参列し、天皇、皇后両陛下が秋篠宮ご夫妻ら成年の皇族方と共に入室された。
式に先立ち、陛下は午前9時50分ごろ、赤坂御所を車で出発。
首に天皇が装着する最高の勲章「大勲位菊花章頸飾」を身につけ、沿道に集まった人々にほほ笑みながら手を振って応えられた。
午前10時ごろに皇居に入ると、宮殿「菊の間」で初の公務として、剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀を国の儀式として行う旨の閣議決定を「裁可」された。
両陛下はいったん東京・元赤坂の赤坂御用地内にある赤坂御所に戻られた後、午後に皇居・吹上仙洞御所を訪ね、上皇ご夫妻に即位を報告。
その後、宮殿に移動し、皇族方や元皇族、宮内庁の職員らから祝賀を受けられる。
受け継がれた剣と璽は赤坂御所に運ばれ、厳重に保管される。
日本全国いろんな雑煮があるでつなぁ~
味噌もあれば、澄まし汁も…
でも好みとしては、白みそかなぁ~
さて、日本一の鍋は…
昔は15日と決まってたけど今は、第二月曜日のなるでつなぁ~
成人式は行かなかったなぁ~
成人式ってミニ同窓会みたいなとこあるからなぁ~
大阪の学校に行ってたからちょっとヨソ者な感じがあったかなぁ~
だけど中学の友達とかに会えたから行けばよかったかなぁ~とか思うでつなぁ~
イベントがあるといろいろとイルミネーション演出されるでつなぁ~
小学校の時は、8月6~8日まで若狭高浜へ海水浴に行ってたでつなぁ~
あれから50年近く経つんだなぁ~
夏のイベントだったなぁ~
2回目くらいから泳げるようになったのかなぁ~
大人数だったから楽しかったなぁ~
高浜3回、神崎1回だから4回しか行ってないんだなぁ~
もっと行ってるイメージがあるけどね!
父の日となるとあまり何かした記憶はないけど、今となってはいろいろと出来そうなこと多かった気がします。
お酒の知識がなかったからもあるけど、赤霧島とか今なら買ってきたりできたなぁ~
今も生きてたら、いろいろと美味しいお酒手に入れて飲ませてあげられたなぁ~とか思うです。
お酒が飲めないので…
お供えできないのが、ツライとこです。
南南東に向いていただいたでつ♪
意外と結婚式挙げるの多い月でつなぁ~
アルシオンだとドラマあるなぁ~
といつも見てたでつなぁ~
11月30日、グループを挙げて開発を進める国産初のジェット旅客機MRJ(Mitsubishi Regional Jet)をテーマとする展示施設「MRJミュージアム(MRJ MUSEUM)」を、名古屋航空宇宙システム製作所
小牧南工場内のMRJ最終組立工場(愛知県豊山町)にグランドオープンし、MRJの開発・製造を担う本拠地で、MRJに込められた最先端技術を体感いただける施設として一般公開を開始します。見学の申し込みは完全事前予約制で、10月末から受け付ける予定です。MRJミュージアムは、既存施設に隣接して新設されたMRJ最終組立工場の5階フロア約1,150m2に展示室を設け、来館者は2階でMRJ実機の製造作業を見学することができます。5階の展示室にはMRJの胴体やエンジンなどの実物大模型を設置、MRJのスケールをリアルに実感でき、これらを確認しながら、各展示物を見学いただきます。
技術開発に関する展示では、実物大のフライトデッキや客室空間から、操縦性や快適性にこだわった設計、MRJの随所に組み入れられた日本的デザインなどを体感。最先端映像で、航空機の基本原理やCFD(数値流体力学)解析による空力設計、燃費性能が非常に優れ排ガス対策・騒音レベルが大幅に改善された次世代航空機エンジン(GTFエンジン)など、MRJに採用された先端技術について紹介しています。
生産に関する展示では、MRJが高い信頼性と安全性を実現する高度な品質管理により組み上げられていることを、IT(情報技術)を活用した仮想体験や実機と同じ物の部材や素材に触れることを通じて学習できます。
愛知県は、岐阜県ほかの中部地域とともに国から「アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区」の指定を受け、その中核地域として当社の小牧南工場がある県営名古屋空港周辺地域に航空機産業に関連した事業所や文化・展示施設を積極的に誘致しています。MRJミュージアムもこの構想に応えるもので、近隣で同時開業の愛知県が整備する「あいち航空ミュージアム」とも連携しながら、中部地域の航空宇宙産業集積地構想を盛り上げていきます。三菱重工グループは、MRJミュージアムの一般公開を通じて地域発展と航空機産業振興、教育・人材育成などに貢献していきます。
って書いてるけど、まだ商品化も出来てない不完全なMRJをPRしててエンジニアとして恥ずかしくないのかなぁ~
何か負け犬の遠吠えみたいでつなぁ~
あれだけ納期伸ばして、ANAさん、JALさん等に迷惑かけてるのに、飛行機作れないメーカがこういうことやること自体日本の恥でつなぁ~
亀戸駅の宝くじ売り場は伝説の売り場でつなぁ~
5億の夢乗せて…
幸運の売り場で買うじょ~
日数にすると20088日、時間にすると482112時間。
よくここまでというか、思えば遠くへ来たもんだなぁ~
さて、ともかくいっぱいいい思い出を作っていきたいなぁ~
お金とかそういうの考えずに…
ヒデや林先生じゃ~ないけど、今を楽しむことだなぁ~
やっぱり、バイオマスが多そいでつなぁ~
5月3日は、日野祭。
母が生きてた頃は、毎年行ってたなぁ~
鯛ソウメン、ブリのヌタと美味しいもの多かったなぁ~
もう20年行ってないなぁ~
また機会があれば、行きたいなぁ~
ビール園はロマンチックでいいでつなぁ~
1年で一番華やかな時期でつなぁ~
桜が咲くと新たな気持ちと新鮮な気持ちになるでつなぁ~
来年は関西で花見でつなぁ~